掲載日:2016.011.21

「日本の劇」戯曲賞2016 最終選考委員選評

『日本の劇』戯曲賞2016 最終選考委員選評 

「日本の劇」戯曲賞2016(主催/文化庁・日本劇団協議会)の最終選考会が2016年9月23日、日本劇団協議会会議室にて行われ、最優秀賞が次の通りに決定しました。
最終選考委員の演出家は板垣恭一、上村聡史、内藤裕敬、中屋敷法仁、宮田慶子の5氏(敬称略、五十音順)です。

【最優秀賞】 くるみざわしん 『同郷同年』


最優秀賞受賞作品は贈賞として、2017年9月13日~18日の日程で上演予定です。
演出は宮田慶子氏
です。
 なお、今年度の応募総数は58作品。一次選考を経て最終候補作品として選出されたのは、次の5作品でした。

               【最終候補作品】(受付番号順)

               くるみざわしん   「同郷同年」
               新堂 陣      「情けで金が稼げるか」
               岡田祥吾      「MONSTER」
               岡田鉄平      「百歳センセイ」
               ほしのしんや    「廃家と風光」


■【最終選考委員選評】■

面白い物語はいつだって必要です/板垣恭一

 『同郷同年』『廃家と風光』のどちらを推そうかと悩んだのですが、最終的に『同郷同年』に一票入れました。理由は、より舞台として面白くなる可能性が高いと考えたからです。核燃料処理施設誘致の話という一見政治的な設定も、それに惑わされず登場人物を見れば、そこには「生活」するために、ただジタバタと足掻く中年男たちがおり、たった3人の登場人物の立場がコロコロと変わるたびに、彼らの内面をいちいち想像させられ、彼らのヒリヒリした心の動きに共鳴してしまいました。つまり彼らは「私たち」そのものであり、だから物語のラスト、立場が変わり続けた彼らの関係が、危ういバランスなれど崩壊しないところは好きな展開でしたが、「ありがち」とも感じてしまうラストであったことが少し残念でした。
 『廃家と風光』『百歳センセイ』は、どちらも「家族」の話でした。なぜ『廃家と風光』の方を点数的に上にしたかというと、家族というものに対しての考え方の違いからでした。家族というのは良くできたシステムですが、それゆえに限界も抱えていると思うのです。その「限界」に触れるか触れないかは、家族を物語で扱うとき大切なことだと僕は考えています。より、ちゃんと触れていたのが『廃家と風光』で、一方『百歳センセイ』は、家族はやっぱりいいね的な着地をしてしまったと感じました。どちらも面白いお話ながら、この物語は何のために書かれたのだろう、誰のために書かれたのだろうという意味では、物語にさほど「切実さ」が感じられず、他作品を圧倒するには至らないと感じました。
 『情けで金が稼げるか』は、作者が登場人物のどなたもお好きじゃないように思え、物語を使って誰かを断罪すべきではないと考える自分としては、実は形を変えた「自分との戦いの物語」かもしれないと、読んでみたのですが、今ひとつ描きたかったことが理解できませんでした。 
 『MONSTER』にはとても好感を持ちました。荒削りですが、自分の感じていることに「誠実」な書き手と感じたからです。そして、時間のつなぎ方が演出的に楽しめそうで面白かったです。登場人物のそれぞれがちゃんと葛藤を抱えているところも良かったです。難を言えば、劇団にまつわる設定の作り方や、自分の分身である父親との対話という仕掛けなどに、作家なりにもうひと工夫されたアイディアが加わっていると良いのにと思いました。
 どの作家の方も、これからも、どんどん執筆を続けていただきたいと思います。面白い物語はいつの時代も求められていますので。

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   伝えることのしつこさ/上村聡史(文学座)

 今回で選考委員を務めるは4回目だが、今年の印象は構成に工夫が見られたものが多いように思った。演劇において新たな試みを施していくことは、創作していく上でとても大事な精神であると思う。その反面、物語の内容や人物設定、関係性に説得力がなく、観客または読み手に何を伝えたいかが曖昧なものが多かった。表現の上で“伝える”ことが難しい局面は多々ある。演じる俳優の質、劇場条件、演出者のプラン、そして何よりも観客の想像力や価値観によって、戯曲の本質を倍増させてくれる時もあれば、退屈なものへとねじ曲がってしまう時がある。大概は後者の方が多い。“台詞”という言葉を司るパートにおいてはその“伝える”ことに対する拘りに多少のしつこさを持つことの方が創作において生産的なのでないだろうか。それを発見させてくれた作品が、今回の受賞作『同郷同年』である。はじめは何度もでてくる同郷同年というキーワードに、その台詞で事態を収めようとする乱暴な使い方の印象があったが、むしろ登場人物が抱える問題や状況を臭いものに蓋をするような恐ろしいキーワードであると気づいてから、地域社会、そして大きく捉えると島国・日本への批評性を感じ、加えて構成、内容ともに優れた作品のように思えた。だが、私が推したのは『廃家と風光』であった。それぞれの人物たちの関係性や設定がどこか、不気味である反面、神秘的な奥行きを感じ、理屈だけでは割り切れない俳優の身体的感覚をも計算しているように思えた。しかし、読み返していくうちに、そういった魅力が雰囲気で終わっているのではないか、つまり、ミステリアスな部分がメタファーにまで表現されておらず、何を伝えたいかという策略が弱く感じてしまった。だた、理屈では処理できないような俳優が感覚で発する可能性を見据えていた点は評価したい。
 『情けで金が稼げるか』は映像を効果的に使う方法は面白いもののアイデアだけで終わってしまった。『百歳センセイ』は高齢化をモチーフにするもののリサーチが足りないように思う。『MONSTER』はさもすれば、人物たちがある象徴性を表していて画期的だが、主人公との連動においてドラマ性を欠いている。


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くるみざわ氏の迫力に負けた
/内藤裕敬(南河内万歳一座)


 『MONSTER』は、作風が若い。若いという意味は、幼ないという要素も含む。各シーンで進行する物語が、主人公の告白に終始するのが単調。また、一行で済む台詞が五行六行に及ぶ印象を受けた。書いて書いて書きまくれ! そう応援したい。
 『百歳センセイ』は、コメディーのスタイルをとっているが、どうせなら良質のコメディーにまで創り上げるべきだ。百歳を目前に死亡した父親のエピソードが発展しない。単なるドタバタで終わっている。それは、事件を囲む登場人物達のキャラクターに奥行きを感じられないからだ。いい所までは行っている。その先へと踏み込んだ展開が欲しいと思った。会話で物語を成立させて行こうという意志には、プラスの点数をつけたい。
 『情けで金が稼げるか』こちらは、会話が未熟。台詞を磨いて欲しい。そもそも、会話の発展の向こう側へ向かって書かれていると思えない。俳優の肉声となった時の力が、台詞の中に見えない。映像と舞台を交える展開も、演劇に有効かどうか? ただ、この方はアイデアへの集中力がある。アイデアだけに終わらず、その先へ突き抜けて欲しい。
 『廃家と風光』書き慣れている。文体を持っている。台詞に行間と奥行きがある。それは、作品に散りばめられたチェーホフのモチーフからも理解できる。しかし、そのチェーホフが要らない。そんなものを持ち出すから読み手がチェーホフの方を読みたくなる。『桜の園』の現代日本版ダンカイの世代論みたいな印象になる。最後の「三人姉妹」も作者の勝負所なのに、生きて行かなくてはの一言にしてしまうのは、よくできた作品だけに残念。
 『同郷同年』ここでは、書ききれない。くるみざわ氏は、最終候補の常連だ。その作風は、社会的なモチーフの構造化だが、構造の中に閉じ込められた登場人物と、その台詞が息苦しく感じられていた。緻密だが、構造と飛び出すパワーが感じられず、何か、せまい所でジタバタする感じ。今作は、それが無い。スピーディで迫力がある。今、私達や日本が直面する「守る為のリスク」が、故郷と同年代の登場人物の間で見事に構造化されている。なにより、その構造が狭っ苦しいものでなく、シンプルで大胆だ。構造そのものも発展し壊れて行く。感心した。受賞、おめでとう!


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「日本」に対する捉え方/中屋敷法仁(柿喰う客)

 
2016年の「日本」を代表するに相応しい戯曲なのか。また、その戯曲と出会った後に、自分の中の「日本」に対する捉え方に劇的な変化が生まれたのか。選考にあたってはこのふたつに主眼をおいた。しかし、残念ながら、そもそもこのレベルまで至っていない、と言わざるをえない作品もあった。
 選考委員である前にいち演劇家として『情けで金が稼げるか』『百歳センセイ』の二作品を戯曲として認めるわけにはいかなかった。どちらも物語の展開はシンプルで読みやすい。しかし「もう一度読みたい」という気は起きなかった。理由は、劇中で描かれる問題、また人物に対して、あまりにも不勉強で無防備であるからだ。作者の一方的な主張、偏見が羅列されているのみだと感じたのは『情け~』だ。例えば凶悪なテロリストにだって家族もいる。低俗テレビ番組にだってそれを作り生活している人がいる。そのあたりの複眼的な考察なくして戯曲とは呼ばせない。『百歳センセイ』は百歳となる直前で死んでしまった老人をめぐる悲喜劇だ。日本全体が抱える高齢者の諸問題まで話が及べばよかったが、どこまでも、いち家族の出来事のようにしか描かれず「老人」というものを単なる「ネタ」扱いしているとしか思えなかった。
 『MONSTER』は断片的なシーンのつなぎ合わせから、個人の精神的葛藤を描く佳作だ。しかし「何が書きたかったのか」という本質に、作者自身が出会えていない印象が強い。 
 非常に読むことが難解なのが『廃家と風光』だ。しかし読めば読むほど戯曲の独特な味わいに心を奪われた。台詞やト書きはやや扇情的すぎるが、それでも詩的な魅力を感じた。
 戯曲としての完成度、将来性を考えれば『同郷同年』の受賞は必然だろう。描かれる土地も年代も限定的なようだが、そこに含まれる諸問題の描き方、広げ方は実に鮮やかである。日本という「同郷」、21世紀という「同年」に生きる私たち全てに届けられた戯曲だ。


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たくらみと熱量/宮田慶子(青年座)

  
今年の『日本の劇』戯曲賞には、昨年と同数の58作品の応募があり、その中から厳選された5作品について、最終審査会で多角的な意見が交わされた。5作品は、それぞれ作劇の傾向が異なりながら、「構成」などに優れた発想や技術があり興味深い作品に仕上がっていたが、作者の目的意識が鮮明に感じ取れる「熱量」が更に欲しい。
 『情けで金が稼げるか』は、ネットの生動画の番組を題材に、ネットを通して伝わるニュースや紛争地域の情報に対する、「ひとごと感」や「ゲーム感覚」を揶揄する作りになっているが、状況がエスカレートする流れが一方向で予見できてしまい、予想通りのただひたすら後味の悪い結末になっていることが、ドラマを平板にしている。演劇で「生動画」を題材にするには、「リアル」に拮抗する策略が必要になるだろう。
 『MONSTER』は、父と息子の関係や中年の人物像など、魅力的な要素があるものの、それぞれが絡み合っていない。女優や演出家の人物造形や劇言語が、全体的に堅く、時にステレオタイプになっているのが、ドラマの求心力を薄めてしまっている。
 『百歳センセイ』は、生き生きとした台詞が魅力的な戯曲である。しかし「お祝いを県知事から受け取るために、死亡したことをごまかす」という設定だけでは、コメディーを転がすには弱く、画策する内容に説得性がない。もっと「百歳」や「先生」や家族の姿に拘ったドラマに興味は惹かれる。
 『廃家と風光』はそれぞれの人物の描き方が巧みである。家族の命名の仕方や場面作りにも工夫があって楽しいのだが、広げた内容を拾い集め損ねているために、終景の着地の曖昧さが、心もとなく感じられる。
 最優秀に決定した『同郷同年』は、三人の男のしがらみと葛藤が、5場構成の中で、しっかりと、大胆に、巧みな飛躍とともに展開して行く。自然で力のある会話の言葉が、ヒリヒリと息詰まるような空気を作り出している。題材の現代性とともに、戯曲の力を信じさせてくれる作品である。


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文化庁委託事業「平成28年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」
日本の演劇人を育てるプロジェクト 制作:公益社団法人日本劇団協議会